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12 April

“智慧” あるいは“恵み”について

“智慧”という言葉について考えていました。
「知識と知恵はどう違うか?」と問う人がいたので。

 だって、“恵み”と書くでしょう。。って



 人類は“知恵”を授かって生まれてきた。
 そして千年をかけて“知識”を獲得した。

現代社会で“教育”とよばれる作業の本質は、つまり“知恵”を“知識”へと変換する作業なのだ。気まぐれで断片的な“恵み”のカケラを、丹念に拾い集めては合理的に体系づけて、管理して飼いならす。そうして体裁を整えられた“知識”は、誰にでも分かりやすくて、扱いやすくて、素早く伝えられるから、津々浦々にまで遍く恩恵が及ぶ。

 露骨に言えば、
 “知恵”を“知識”に変えれば、カネを生む。

世に溢れる“マニュアル”やら“メソッド”やらのお陰で、私たちは安価に繁栄と幸福を享受している。例えば、私が日に10人もの幸せな髪型を街に送り出すことが出来るのは、美や造形についての“知恵”が ヘアカットのマスターたちによって“知識”として昇華され、そのメソッドを美容師として私が習得したから。。

 さて、
 “幸福”は大量生産できるのか。。?

“知識”を積み重ねて“幸福”を大量生産することは、20世紀のチャレンジだった。けれど“量の過剰”に浮かれるうちに、“質”を問う時間もなく追い立てられるまま、その目的はいつの間にか“富の集約”にすり替わってしまった。工業化の歴史は象徴的だけれど、同じドラマはあらゆるサービスにおよび、私たちは今や身体や心や魂までもが“知識”の名の下に呑み込まれようとしている。

 きっと、
 “知識”って“道具(ツール)”なんだ。知的な顔をした。

私たちが授かった“智慧”はあまりにも深くて、怖いほどに深くて、怖さゆえ持て余し浪費している。“ムダ”というのは“豊かさ”と不可分だから、“浪費”もまた“知識”のうちなのだろう。それならば、いったい目的は何なのか? 瞑想の果てに“悟り”があるとして、ブッダやジーザスは そのムコウに何を見たのか? “魂”までをも地平に取り込もうとする“知識”の先に、私たちは何を見ようとしているのだろう?
[美容師とヨガの量子論的関係] #4
18:16:27 - motoka - - TrackBacks

09 November

I Can See Clearly Now



 先月来ずっと頭の芯が重くて、どうにもできなく流していたけれど、昨日久しぶりにヨガへ行って、その後バクスイしたらスッキリした。今日は元気に筋肉痛。
  ⇒クリパル・ヨガスタジオ

 iTunesをシャッフルにしてシャワーを浴びてたら、Charaの『光の庭』がかかって、何故だか脈絡もなく日本人の美意識について考えてしまった。気だるい歌声が、聞いたことないけど遊郭の三味線の音を連想させたのかも知れない。
 そして、日本の文化は明治以降ずいぶんと欧米に浸食されてしまったけれど、DNAまでは書き換えられないよなぁ、なんて、思考は果てしなく飛躍して行ったのでした。
 波瀾万丈の歴史を経ても、結局アイデンティティを探す旅は、自らのルーツを辿る道へと行き着くのでしょうね。。
  ⇒iTunes

 古今東西、”叡智”って失われる運命なのかも知れません。エジプトやメソポタミアしかり、マヤもインカも邪馬台国も、ムーだってアトランティスだって。。
 それに較べたら、日本はまだまだ再生可能ですわよね。だって、文字だって写真だって残ってるんだから!
  ⇒『モースコレクション / 写真編 百年前の日本』

 ところで昨年、SoulBeautyシリーズのために資料集めをしている時に、偶然ハワイの古代文化に出逢って、それ以来ハワイ文化のスピリチュアリティにすっかり虜になっています。やはりアメリカに侵略されたという意味で、日本とハワイは似ていると思うし。
(もっとも、日本人は決して侵略されたなどとは思わずに、自らアメリカに同化しようとしていますが。。)
  ⇒”ハレとケ” SoulBeauty vol.3
  ⇒ハワイの神話と伝説

 ハワイには、”カフナ”と呼ばれるシャーマンがいて、面白いなって思ったのは、カフナにはいくつかジャンルがあるということ。つまり分かりやすく言うと、いわゆるサイキックなジャンルのカフナだけではなくて、政治のジャンルのカフナがいたり、もの作りのカフナがいたり、航海術とかのジャンルのカフナがいたりするのだそう。。で、主に政治的な意図で、カフナたちのほとんどは歴史の中で粛清されてきた、というワケ。そして今ハワイでは、そんな”失われた叡智”の復興運動が興っているのだそうです。
  ⇒『ハワイアン・ヒーリング』
  ⇒『ハワイイ紀行』

 私たちって、生まれてこのかた、何につけ「欧米文化の方が日本の伝統文化よりも優れている」って巧妙にすりこまれてきてしまったから、どうも日本人的感性を疎んじてしまう傾向があるのですが、実は私たちがどれほど彼らにとって衝撃的だったかというのは、たとえばルイヴィトンのロゴを見てみなさい、という話です。アレ、日本の家紋のパクリですから。
 それいけ!村上隆★
  ⇒『ブランドの世紀』
  ⇒『美のジャポニスム』
  ⇒『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』

 で、つまり何が言いたいかって、今の時代は”失われた叡智”の復権へと流れているように感じているのです。(ジェダイの帰還、ですね♪) その流れで言えば、私は美容師というジャンルでのカフナの道を歩みたいし、街の流行や資本主義経済から自立した”野の美容師”という立ち位置を模索しようとしているのです。

[美容師とヨガの量子論的関係] #3

20:44:00 - motoka - - TrackBacks

14 September

真の解決 とは。。

他人のことって、よく観える。
まるで、
迷路のネズミを、上から眺めているみたいに。

そう。
たしかに、
迷路を上から眺めていれば 出口へ道を促すことはできるけど、
でもね、
一刻も早く出口へ向かわせるのって、
いったい、
本当に その人にとって幸せなことなんだろうか?

 選択肢を前にして 悩み迷う人に対して、
 いったい私たちは 実のところ 何が出来るんだろう?



 美容師が通常置かれている立場というのは、実のところかなり特殊な局面だと感じています。

 上の例で言えば、プロとしてのスキルを信頼していただいたうえで 全面的にデザインを委任された場合に限り、美容師は迷路のネズミを出口へ促すことができるのです。それは、ドライな職人の立場だと思います。("ドライ"と言いましたが、否定的な意味ではありません。むしろ、誇り高く、謙虚な、奉仕の仕事だと思います。)
 ところが通常は、お客様が全面的に選択肢を美容師に預けるということは、皆無です。そこでコミュニケーションを図り、諸条件を勘案し、要望と提案の折り合いをつけながら、デザインを創りあげてゆきます。これは、共同作業のセッションです。美容師は、そのためのパートナーという立場です。特殊な局面と言ったのは、この立場についてです。

 ふたつテーマがあります。
 ひとつは、主導権についてです。美容師はお客様にスキルを買っていただいてセッションのパートナーとして雇われるのですから、その意味では主導権はお客様にあります。けれど、デザインを実際に作り上げる作業自体は委任される訳ですし、多くの場面で提案をしてデザインを主導するのは美容師です。共同作業ですから、主導権がどちらかに片寄り過ぎてはセッションはうまく行きません。この主導権のバランスを、臨機応変に適切にコントロールすることも、美容師の側の役割です。
 ふたつめは、方向性についてです。忘れてはならない事ですが、デザインをどの方向に向かわせるのかはお客様自身に委ねられるべきだと思います。あえて”方向性”と抽象的な言い方をしました。今いるその場所から、どちらへ向かいたいのか or 向かいたくないのか、どのくらい離れたいのか or 離れたくないのか、ということです。冒険をしたいのならしたいなりに、迷っているのなら迷っているなりに、美容師はお客様のベクトルに寄り添う姿勢が必要です。お客様自身が腑に落ちるようにサポートし、ときには演出することもあるでしょう。言い換えると、”客観的に似合うヘアデザイン”が”主観的な居心地の良さという個人的体験”と両立していることが重要なのだと思います。

 「主観を客観視する」というヨガ的視点は、ここでも深い示唆を与えてくれます。つまり、ヘアデザインを内的体験としてアプローチして、主観を客観化するセッションを通して多層的に調和のとれたヘアデザインを導けるとしたら、それは例えば「カットセラピー」と呼んでもいいかも知れません。
 サロンワークの様々な制約の中で、試行錯誤しながら、そんな模索を続けています。

[美容師とヨガの量子論的関係] #2
02:16:00 - motoka - - TrackBacks

03 September

美容師とヨガの量子論的関係 #1

 ヘアカットをしながら、ふと思うこと。

ヨガのクラスに通うようになって2年半ほどですが、重力やバランスやエネルギーの流れだとかに対する感度が、そういえば敏感になったかも知れないと思う。
これ、ハッキリと美容師としてのスキル向上につながっているって感じます。たとえばフォルムやウェイトに対する感覚、骨格や毛流へのアプローチ、生体オーラの表現器官としての髪という視点、等々。。
 脱力による、重力への降伏と自立。
 中心軸を知ることによる、求心と解放。
 呼吸と瞑想による、自己と他者の融合と対比。
そんな訓練は、ヘアカットという作業を単にファッションだとか身だしなみだとか造形だとかという次元を超越した方向へと導いてくれています。

 「美容師って何だろう?」ってずっと自問してきて、
 大きなヒントになる出逢いや学びや気づきはいくつもあったけれど、
 間違いなく、ヨガは私にとって大きなキッカケだった。
 観念だけではなくて、存在丸ごとで体験する、という意味で。

昨年の"SoulBeauty"シリーズは、
美容師という立場で「髪」をエネルギー体として捉えるとどんなメッセージが見えてくるのか、というチャレンジでした。人の存在というのはエネルギーの磁場のようなものだから、客と美容師の接点というのは「髪」だけでは済まされない深遠な間口が広がっているということを、私自身もっと深く気づいてゆく必要を感じたのです。
タウン誌の連載コラムでしたので、字数の制約などある中での表現でしたが、おぼろげなヴィジョンをカタチに生み出してゆく一歩だったと思います。
 
SoulBeautyバックナンバー ⇒(text版flash版



 [美容師とヨガの量子論的関係]
23:41:00 - motoka - - TrackBacks